ホーム > 41番~50番, か行の作者 > 清原元輔(きよはらのもとすけ)


清原元輔(きよはらのもとすけ)

清原元輔(きよはらのもとすけ)の画像

小倉百人一首 042番

(上)
契りきな かたみに袖を しぼりつつ

(下)
末の松山 波越さじとは

▼音声

読み
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すえのまつやま なみこさじとは


現代語訳

約束しましたよね、互いの涙で袖を濡らしながら。
高い松山が海の波に呑まれないように、私達の愛も永遠に変わらないと。

解釈

心変わりの女に対しての歌


作者とプロフィール

名前:清原元輔(きよはらのもとすけ)
性別:男性
生没年:908~990年
清原深養父の孫で、清少納言の父です。
「万葉集」の訓読みに携わりました。
歌が認められて、出世しました。

雑学・豆知識

歌の中の松の松山とは、歌枕では有名なものです。
場所については、現在の宮城県多賀城市八幡近辺、もしくは岩手県二戸郡一戸町付近という、二つの説があります。


Amazon、楽天で百人一首商品をチェック

amazonで見る 楽天で見る

 

百人一首ピックアップ

喜撰法師(きせんほうし)

(上)
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ

(下)
世をうぢ山と ひとはいふなり

参議篁(さんぎたかむら)

(上)
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

(下)
人には告げよ 海人のつり舟

道因法師(どういんほうし)

(上)
思ひわび さてもいのちは あるものを

(下)
憂きにたへぬは 涙なりけり

俊恵法師(しゅんえほうし)

(上)
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで

(下)
閨のひまさへ つれなかりけり

法性寺入道前関白太政大臣
(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)

(上)
わたの原 こぎ出でてみれば 久方の

(下)
雲ゐにまがふ 沖つ白波

源兼昌(みなもとのかねまさ)

(上)
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に

(下)
幾夜ねざめぬ 須磨の関守